No.107 (ロシアの改革と南下政策)  : 

「19世紀中頃の露の南下政策失敗と近代化のための改革とは?」

クリミア戦争で敗れ、パリ条約でダーダネルス・ボスフォラス両峡と黒海が
中立となって南下政策が挫折したロシアでは、新帝アレクサンドル2世が発
布した農奴解放令(1861年)により近代化が試みられた。その結果、ロシア
でも産業革命が始まり国力の充実もあって普墺戦争(77〜78年)に勝つこと
ができ、サン=ステファノ条約で大ブルガリアを通ってエーゲ海への進出が
可能になったが、ベルリン会議でドイツの宰相ビスマルクの仲介により条約
が破棄されてそれも失敗した。

<評価の観点>
関心・意欲・態度:

不凍港を求めたロシアの南下政策が招いた結果の一つが、我が国との衝突で
あり、それが日露戦争の勃発に結びついたことについて、大きな関心を持ち
ながら学習に臨んでいる。

思考・判断:

アレクサンドル2世による「上から」の改革が、クリミア戦争敗戦の反省を
背景としたものであることについて、冷戦の勝敗が明らかになったことを背
景とした、ゴルバチョフによるペレストロイカ(「改革」)と重ね合わせな
がら考察している。

資料活用の技能・表現:
ロシアの農奴解放令の抜粋を読んだり、それまでの農奴制を風刺した絵を見
ることにより、当時のロシア社会とその変化について理解を深めている。

知識・理解:
クリミア戦争や露土戦争を、19世紀全体を通してロシア外交の中心であった
南下政策の代表として位置付けるとともに、その挫折を通して農奴解放令の
発布や産業革命の推進等の、「上から」の改革が実施され一定の成果を上げ
たことについて、基本的な知識を身につけている。